シャドバのセフィーに関する個人的な考察 - 人道を外れるな
はじめに
最近YouTubeでセフィーのストーリー解説を見ていろいろ考えてみた。簡単に言えばアニメやゲームとかでよく登場する「マッドサイエンティスト」に近いキャラだとは思う。ただ個人的にはそれだけじゃなくて複雑な一面もあるんじゃないかなって思ってる。
先に言っておくけどまず前提として、もちろんセフィーの行動は倫理的に間違ってる。どんな理由であれ虐殺に近い人体実験をしたのは普通に犯罪だし。ただそのうえで、私は1人の作家として「何故セフィーはそんな行動に至ったのか」を考察してみたい。
先に結論から言うと私はセフィーが「共感能力がほぼ皆無な状態でやたらフィードバックは早くて他人の言葉を文字通りに受け入れる人」だと思う。
1. 人道を外れるな
鶏と雛を解体した理由は「臓腑の構造を実証したかった」から。手順も完璧で服も汚れていないのに院長が怒った、という表現を見る限り、そもそも自分の行動が間違ってるという自覚がなかったことがわかる。
ここでセフィーは生まれて初めて他人からフィードバックをもらった。それは院長の「人道を外れるな」という言葉だった。私はこれが結構大事だと思う。それがセフィーが物事を判断する最も大事な行動原理になってるから。
鶏と雛を解体したのはセフィーにとっては「実証」だった。でも院長には「人道を外れるな」という言葉で怒られた。つまり「実証」とは「人道を外れる」行為だからセフィーは「実証」を辞めることになったと言える。
院長の話は別に間違ってない。ただ院長は「何が人道を外れる行為で、何がそうじゃないのか」までは教えてくれなかった。セフィーにとってはこれが唯一の教科書になった。
2. フィードバック
本人が表現してるようにセフィーは「実証」を避けていた。そして「実証」を避けていたセフィーは本人の表現を借りると「落ちこぼれ」だった。でも相変わらず、相手からフィードバックがあったら受け入れて改善する人間ではある。それがよくわかるのがこのフレーバーテキスト。
農場主に「家畜を太らせろ」と言われたから家畜の食欲を際限なく増やした。工場主に「どんな高熱も下げる薬は作れないか」と言われたから氷のように冷たくなる薬を作った。結果は殺人に近いけど、セフィーからすれば「言われた通りに改善しただけ」だった。
つまりセフィーはフィードバックを無視したわけじゃない。ただ言葉通りの過剰なまでに実行した。これを聞くと疑問に思うかも知れない。
セフィー農場主の事件で失職したのに製薬工場でその行動を矯正するような様子はなかった。この結果に対して改善はしてないと言えるかも知れない。言葉には反応したのに人が死ぬ結果に対しては全く反応しなかったわけだから。ある意味その結果自体フィードバックなのに。
3. セフィーはサイコパスなのか?
一番わかりやすい解釈は「知能は高くて共感が低いだけのサイコパス」に近い。根本的に共感能力が欠如してると言えるから。共感能力が低いため他人の苦痛に対する興味がなくてそれはフィードバックの対象には入らなかった。
セフィーは決して知能が低いとは言えないため、それを考えると知らないというよりは「知っておきながら目的のために利用した」とも言えるだろう。別にフレーバーテキストとも矛盾してないし、私はそれも正しい解釈だと思う。ただ個人的にはそれだとピンとこない部分もあった。
セフィーは自分の行為を全く隠さない。本気で自分は正しいと思ってる。むしろ「恥ずべき箇所など欠片もない」とまで言い切る。フィーリンの名前を覚えていなくてフィーリンから責められてもあっさり認めて取り繕わずに改善の意思と具体的な方法まで伝えてる。
これは相手を騙して利用したい人の反応とはちょっと違う。何より農場や工場で働いてた頃のセフィーにははっきりした目的が見当たらない。普通のサイコパスみたいに「目的のために利用した」という解釈はちょっと不自然だと思う。
だから「知っておきながら目的のために利用した」というよりはそもそも判断の材料として認識されていなかったんじゃないかな。視力が悪い人には視野がぼやけて見えるみたいに、セフィーには共感という視野がすごく狭かったのかもしれない。
日本人が南アフリカ共和国のとある田舎町にある暗黙のルールについてあんま興味が持てないのと同じ。そもそも視界に入ってないと興味は持ちにくい。だから「人が死んだ」というはっきりした結果とフィードバックにも興味を示さなかったんじゃないかな。
4. フィーリン
セフィーに「セフィーは怠惰よ」と言った血縁者は妹で、名前はフィーリンだった。2人は同じ孤児院で育ってお互いの名前も2人で決めた。そして2人で医者を目指してたの、夢を叶えたのはフィーリンだけだった。「実証」を避けたセフィーは医者になれなかった。そもそもなろうとしなかったのかも。
フィーリンはセフィーの非凡な知性に気づいてた様子だけど、本人の表現をそのまま借りるとフィーリンは「不器用な妹」ではっきり伝わらなかった。そのあとフィーリンは難病の研究に忙殺される中で不治の病に罹患した。
「姉なら妹を助けてよ」というフィードバックから多分セフィーはこう考えたんじゃないかな。姉が妹を助けるのは「人らしいこと」で「人道を外れる」行為じゃない。そして「セフィーは怠惰よ」というフィードバックからは「人道を外れない」ためには「実証」が必要だという結論を出した。
5. 被害者の悲鳴がフィードバックにならなかった理由
ここからは私の仮説なので「こんな解釈もできるんだ」ぐらいの軽い気持ちで読んで欲しい。このフレーバーテキストからはセフィーの考え方がわかる。セフィーが相手のフィードバックで行動を変える人間なら被験者の悲鳴だってフィードバックの一種なのに行動を変えなかった理由はなんだろう。
一番わかりやすい説明は前述した通り悲鳴がフィードバックの材料として認識されてないということだけど、他にも私は個人的に色々考えてみた。
セフィーには「人道を外れるな」という一冊の教科書しかなかった。セフィーにとって「家族のために尽くす」のは「人らしい行為」だから「人道を外れない」ために「実証」を繰り返して手段を選ばなかった。虐殺に近い人体実験もセフィーには「人道を外れない」行為だったんじゃないかな。
セフィーは「実証」は「人道を外れる」行為だというフィードバックから「実証」を辞めた。でも「姉なら妹を助けてよ」というフィードバックから「人道を外れない」行為のために「実証」は必要だという結論を出した。そして「家族の為に尽くす」人らしい行為をした。
それに対して被害者の悲鳴はフィードバックにはならない。「家族の為に尽くす」のは人らしい行為だから。被害者の悲鳴は「家族の為に尽くすな」って聞こえたんじゃないかな。もちろん常識的に考えたら別にこれは「家族の為に尽くすな」って言ってるわけじゃない。「他人を犠牲にしない別の方法で家族を助けろ」って思うのが普通だろう。
ただセフィーはそれができない。生まれて初めて読んだ教科書は「人道を外れるな」という言葉だけで、院長はそれ以上は何も言ってくれなかった。鶏と雛を解体するような行為が何故「人道を外れる」行為で、そもそも「人道を外れない」行為とは何か院長ははっきり言ってくれなかった。
多分私もその状況だったらダメとしか言えないかもしれない。少なくとも人間として普遍的な共感能力を持ってる人は子供の頃「臓腑の構造を実証したい」という理由で鶏と雛を解体するような行為はしない思うから。まずそのような状況を想定したことがないはずだから。
だから別に院長が間違ってるって言いたいわけじゃない。ただ多分セフィーは「実験をしない」=「不治の病を放置する」=「家族の死を見てるだけ」=「実験をしないのは人道から外れる行為」という感じで「人道から外れる行為を強要してる」と感じかのかも知れない。
もちろんこれは個人的な解釈で仮説にすぎない。そもそもカードゲームである以上フレーバーテキストでしか判断ができないから、解釈の範囲が広いし判断の材料が少ないから些細な言葉に意味を与えすぎてるのかも知れない。なのであくまで個人的な解釈として「こういう観点もあるんだ」ぐらいの感覚で読んで欲しい。
6. セフィーはフィーリンをどう思っているのか
ここでまた面白いのはセフィーはこれまで一度もフィーリンのことをフィーリンって呼んでなかったという事実。最初は「ただのエキストラでわざわざ名前を設定しなかったのでは?」って思ったこともあったけど「名前も覚えていない」という設定は最初からあった。
だからかカルテにも名前を書いてなかった。特になんか理由があったわけじゃなくて普通に名前を覚えてなかっただけ。これで「妹のことは何とも思ってなかった」と解釈する人がいるかも知れないけど私はこれ、少なくとも「何とも思ってなかった」という結論にはならないと思う。
セフィーの反応を見る限りフィーリンから要求されてお互い名前を付け合っただけで、それが大切に覚えておくべき物なのかは本当に知らなかったのかも知れない。冗談半分だけどわんちゃんセフィーは自分の名前すら忘れてるのかも知れない。実際フィーリン以外の人物がセフィーをセフィーって呼んでる様子はなかったし。
でも怒ってる様子のフィーリンを見て初めて「親族の名を知らないことも人道から外れる」と判断して改善しようとしてる。相手にその意思を伝えて「次は名前を調べてカルテに書いておく」という改善策まで伝えてる。だからといって謝ってはないのがまた意味深な気もしなくはないけど。
セフィーはただ人としての当たり前が分からなかっただけかも知れない。今のセフィーが物事を判断する基準は「人道から外れるかどうか」でそれが形成されたのは院長とフィーリン言われた言葉。だから少なくともフィーリンと院長はセフィーにとって特別な存在だと思う。
セフィーは院長とフィーリンから言われた通りに自分の行動を改善した。つまり院長とフィーリンのフィードバックは通じた。でも他の人物のフィードバックは通じなかった。どんな理由であれその現象自体「特別に思ってる」という証拠だと思う。同じフィードバックにも対応が違うわけだから。
そうなった理由に関しては院長とフィーリンは長い付き合いでちょっと特別な枠に入れて考えてるのかも知れない。冗談半分で考えてみると、同じ院長でももう成人してる頃に初対面してたら「人道を外れるな」って言われても中指立てるだけだったんじゃないかな。
結論として優先順位はそれなりに高いと思う。確かに家族とか姉妹とか愛とかそういう枠では思ってないかも知れない。ただ私たちも急に他人から「愛とは何だ?」って聞かれたら多分なんとも言えないと思う。自然に感じてるような感情だから。でもセフィーはその当たり前が全く分からない。
分からないだけで、ないとは言い切れない。愛というのも友情というのも簡単に言えばある意味相手を特別扱いするだけの概念。それならフィーリンを他人と区別してフィーリンを優先して特別扱いしてるのが別に愛じゃないとも言い切れない。
だからと言ってそれが愛だと言い切れないのも事実だけど、少なくとも特別な存在だとは思ってるんじゃないかな。もちろん、当のところはセフィー本人にしか分からない。
おわりに
セフィーの行為はもちろん間違ってるし、被害者からも許してもらえないだろうし、今更償えるものでもないと思う。一生アズヴォルトにいるべき人間かもしれない。それでも「人道を外れるな」という抽象的な言葉だけを与えられて、誰もその中身を教えなかった環境は無関係じゃないと思う。人間にとって環境というのは本当に大事だし、違う環境だったら違う結果になれたかも。
もちろんそれはわからない。現実でもそう。別に悪い環境にいたからといってみんな犯罪者になるわけでもないし、いい環境にいたからといって誰も犯罪者にならないわけでもない。だから私は別にいい環境だったらセフィーもいい人になれたと主張したいわけではない。
ただ本人も言ってるようにフィーリンは「不器用な妹」で上手く表現ができなくて、院長も「人道を外れるな」って怒っただけで、セフィーという人間にとっては解釈の範囲が広すぎるフィードバックで、セフィーの判断だけじゃ矯正するのが難しかったのかもしれない。
そしてこれは「フィーリンと院長が間違ってると」言いたいわけでもない。そもそも根本的な共感能力の欠如が問題だから。ただ違う人間になる確率がちょっとでも高くなったかもしれないと思う。環境が無関係で「最初から運命は決められてる」という結論になるのもおかしいから。
ある意味私がセフィーというキャラが好きで結構気に入ってるからこういう結論になってるのかもしれない。あと私があんまよくない環境で生まれ育ったから感情移入してるのかも。流石に私は犯罪は犯してないし、別に普段からそんな周りを責めたり全て環境のせいにしてるわけじゃないけど。
多分何回も言ってるけど、それも含めて「こういう観点もあるんだ」ぐらいの感覚で読んで欲しい。一つの観点で解釈して終わらせるのは面白くないから。